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(ネタバレあり)『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』―― 再び結び直すもの

『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』を観終えての感想。孤独、自己認識、自己陶酔的な犠牲、そして愛による救済について。

(ネタバレあり)『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』―― 再び結び直すもの
目次

前作『ノー・ウェイ・ホーム』の最後で、世界中がピーター・パーカーのことを忘れてしまった。

けれど『ブランド・ニュー・デイ』では、ピーター・パーカーが再び世界に認識されていく。

スパイダーマンの大ファンで、名前もスパイダーマンから取っているのに、自分がスパイダーマンの記事を書いたことがないと気づいてしまった!

とはいえ、この文章ではまず映画そのものに焦点を当てたい。僕とスパイダーマンの縁については、また今度書くことにする。

この映画は観終わったあと、本当に大好きになった。一人のヒーローをここまで集中して描く映画を観るのは久しぶりだった。世界観やキャラクターの導入にばかり集中しているわけでもなく、特撮と神々の戦いを積み上げているわけでもない。物語はただ「スパイダーマン、ピーター・パーカー」を中心に回っている。彼の境遇、彼の心境、そして彼の選択を描いている。

今回のスパイダーマンからは、強い「孤独」と憂鬱が漂っている。

戦友にも、親友にも、恋人にも忘れられたひとりの少年が、それでも責任を背負い、自分の街を守り続ける。まさに、あなたの親愛なる隣人、スパイダーマン。

観ているあいだ、僕はずっとひそかに自分の気持ちをピーター・パーカーに重ねていた。彼が電話でやり取りできる相手は局長くらいで、後からパニッシャーも加わるけれど、「僕たちは友達なのか」と聞いても、相手は笑うだけで答えてくれない。 今の僕も東京に来て、つながりのない街に来たような感覚がある。旅行では何度か訪れたことがあるけれど、ここで毎日暮らす異邦人としては、同じく強い孤独感とよそよそしさを感じる。

彼が普段していることも、自分とよく似ている。コードを書いて、AI(E.V.)と会話している。

ふと、昔こういう SF 映画を観ていたとき、複数の画面の前でキーボードを叩いている科学者たちをかっこいいと思っていたことを思い出した。それも、当時の僕がソフトウェアエンジニアになりたいと思った小さな理由の一つだったのかもしれない。

孤独から変異へ

映画の冒頭では、彼がスパイダーマンとして過ごした過去四年間が手早く描かれ、クラシックなコミックの表紙が一つずつ再現されていく。彼はスコーピオン、トゥームストーン、ザ・ハンド、タランチュラ、ブーメランを倒してきた。

この四年間、ピーター・パーカーを覚えていた人々の記憶は魔法によって消されている。世間が知っているのは、街で犯罪と戦う謎のスパイダーマンがいるということだけで、ピーター・パーカーを知る人はいない。

僕は、心理的な傷が身体の変化に影響する「スパイダー変異」という設定がとても好きだ。世界から四年間忘れられ続けた強烈な孤独感が、見知った他人である MJ とネッドに出会ったとき、彼の生理に激しい変化を起こす。彼の体内にある蜘蛛の DNA が、さらに大きく変異していく。

映画の前半で、彼はなかなかその変異を制御できない。心身の両方が、より純粋なスパイダーマンへと近づいているからだ。スパイダーマンとしてのアイデンティティが、すでにピーター・パーカーを上回ってしまっている。精神状態が肉体に影響し、彼の身体はどんどん蜘蛛に近づいていく。ウェブシューターがなくても糸を作れるようになり、蜘蛛の糸でできた寝袋で眠り、感覚能力は強化され、身体もさらに強くなる。

スパイダー変異は一時的に彼の制御を外れ、警察官を傷つけてしまう。

スパイダーマンか、ピーター・パーカーか

ピーター・パーカーは MJ、ネッド、ブルース・バナーに会うとき、いずれも偽名を使う。犯罪と戦うときも、警察局長や周囲の人々は彼をスパイダーマンとしか呼ばない。映画はなかなか「ピーター・パーカー」という名前を出さない。

新しいブラック・ウィドウと会うときも、パニッシャーの家でコーヒーを飲むときも、彼はマスクをかぶり続ける。一見すると正体を守るためのように見えるけれど、同時に彼はまだ、マスクの下にいる「ピーター・パーカー」と向き合う準備ができていないのだと思う。

映画の中でジーン・グレイがスパイダーマンの正体を調べ、「ピーター・パーカー」と口にしたとき、初めてピーター・パーカーはこの世界へ連れ戻される。

彼は MJ を救うために、まずパニッシャーに助けを求め、チームメイトに近い関係になる。同時に MJ も、彼が残したメモからスパイダーマンがピーター・パーカーだと知り、かつての恋人にその名前が再び知られることになる。さらに MJ は彼がネッドと再びつながるのを助ける。彼らは一緒にレゴを組み立てる。それは一作目の『ホームカミング』の頃から一緒にしていたことで、この四年間で彼にとって一番幸せな時間になる。

そして最後にジーン・グレイと対峙し、「あなたはピーター・パーカーなのか、それともスパイダーマンなのか」と問われたとき、彼はようやく「僕はその両方だ」と答え、変異した身体を制御できるようになる。

最初は、その覚醒が少し唐突に感じられた。でも考えてみると、まさにそれこそが主題だった。彼はもう一度、自分の中のピーター・パーカーの部分を取り戻していた。彼の周りにいるのは、彼を「スパイダーマン」としてだけ見る人たちではなくなっている。ピーター・パーカーとスパイダーマンという二つの自己認識を、彼は調和させることができるようになったのだ。

最後にピーター・パーカーが花を買いに行き、ネッドと出会ったとき、彼はついに自分の名前がピーターだとネッドに伝える。ジーン・グレイや MJ の場合と違うのは、ピーター・パーカーは彼女たちに「見つけられた」のに対して、ネッドには自分から正体を明かしているということだ。これは、彼が本当にピーター・パーカーとしてもスパイダーマンとしても生きていく準備ができたことを示している。

強烈な孤独を経験したあと、彼は最終的に、自分は孤独のままでは生き続けられないのだと気づき、自分からその一歩を踏み出す。

犠牲と献身の自己陶酔

MJ との会話で、MJ が彼に問いかける場面もとても好きだった。ピーター・パーカーは MJ の安全を守るために、忘れられたあとも距離を置くことを選ぶ。でもその決断は、すべて彼が一方的に下したものだ。MJ の視点からすれば、きっと深く傷つくはずだ。そこには現代の関係性における多くの問題が表れている。僕たちはよく、相手のためだと思って勝手に決め、勝手に背負い、率直に話し合うことを選ばない。

昔の僕なら、こういう悲劇のヒーローがすべてを黙って一人で背負う姿を、立派だと思ったかもしれない。けれど今は、それはコミュニケーション不足と、過剰な献身による自己陶酔にすぎないと思う。結局たいていは、双方が損をする。捧げる側は苦しみ、もう一方は尊重されていないと感じたり、傷ついたりする。

映画の組み立ても巧みだ。ピーター・パーカーが MJ を守るために距離を置いたにもかかわらず、最終的に MJ は危険に巻き込まれる。これによって、ピーターの四年間の犠牲と苦痛は、すべて無駄だったように見えてしまう。

ただ幸いなことに、その出来事がピーター・パーカーが黙って犠牲を続ける状態を破るきっかけにもなる。

愛による救済

僕は実のところ、マーベルが『サンダーボルツ』と『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』で、ヒーローの心理的な問題を扱っていることがかなり好きだ。

冒頭で、ジーン・グレイはテレパシーでスパイダーマンの心にうまく入ることができない。僕は、それも当時のピーター・パーカーの自己認識がひどく混乱していて、彼がまだ心の中のメイおばさんと向き合っていなかったからではないかと思う。

ピーター・パーカーが勇気を出してこの孤独をほどいていったあと、彼はジーン・グレイが自分の内面に入ることを受け入れ、メイおばさんが彼に伝えたい言葉を聞かせる。

メイおばさんはこう言う。「あなたが特別だからこそ、人はあなたに暗く残酷なことをする。でも私たちがあなたを愛しているのは、あなたが特別だからではなく、あなたがあなただから。あなたには、自分の特別さを誇りに思ってほしい。」

とてもシンプルな言葉だ。でもそれを本当に理解し、実践するのはとても難しい。この世界に、無条件の愛はいったいどれほどあるのだろう。自分が独特な存在であることを認められず、自分が自分であることを誇れない人は、どれほどいるのだろう。

ジーン・グレイもまた、認められ、理解されることを強く求めているのだと思う。ただ、彼女の姉はあまりにも早く奪われてしまい、そのため彼女は復讐のために動かざるを得なかった。 ピーター・パーカーと彼女は、どちらも特別な力を持つティーンエイジャーだ。けれど彼は幸運にも、アイアンマンの助けとメイおばさんの無条件の愛を受け取ることができた。

ジーン・グレイがメイおばさんの言葉に説得され、周囲への支配を解いたのかどうかは、僕たちには見えない。けれど、ピーター・パーカーがさらに無私に弾丸を受け止める行動に彼女が心を動かされ、その行動が同時にパニッシャーをも変えたことは見ることができる。

ピーター・パーカーはずっとパニッシャーに殺すなと言い続けていた。それでもパニッシャーは最後にはジーン・グレイを殺そうと決める。過去の彼の荒々しいやり方と同じように。けれど、弾丸を受け止めたピーター・パーカーが命の危機に陥ったことで、パニッシャーの心もやわらぎ、自分の行動を見つめ直す。

最後にはパニッシャーもピーター・パーカーの病床に付き添い、ジーン・グレイは精神操作の能力を使って、ピーター・パーカーの傷を分担し、安定させる。

ピーター・パーカーはメイおばさんの愛を受け取り、その愛によってジーン・グレイとパニッシャーを感化し、救済したのだ。


最後に、好きだった小さな場面や設定をいくつか。

  1. 新しいブラック・ウィドウであるエレーナが彼とビデオ通話しているとき、MJ とネッドを見て、スパイダーマンに友達ができたことを喜ぶところ。親戚のおばさんが温かく見守っているみたいだった。
  2. V-Max の伏線は本当に見事だった。いかにも何かありそうに見えて、ダメージ・コントロール局の局長は実はとぼけていたのではなく、本当に V-Max が何なのか知らなかった。最後にジーン・グレイが V-Max の意味に気づく場面は、本当に胸が痛む。
  3. 映画全体が、同じ要素を巧みに使い回している。ピーターが発明した変異遺伝子を無差別に制御できる装置も、メイおばさんがピーターに語った言葉も、そのままジーン・グレイにも当てはまる。

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