絵コンテ、作画の美しさ、壮大な音楽だけで純粋に心を動かされた、近年では数少ない作品の一つだ。
最初の戦闘シーンの炎の呼吸だけで、制作の水準が見事に伝わってくる
真っ暗な中で松明に一つずつ火が灯り、真っ赤な刀身を形作る。点が線につながり、鮮やかな一太刀へと変わる。そして空間の広がりによって、その斬撃の範囲と威力が伝わってくる。初めてこの場面を見たときは、胸が高鳴るあまり目に涙が浮かんだほどだった。それでいて、まだ最初の戦闘シーンにすぎない。この先は、ぜひ自分の目で体験してほしい。
この作品の軸は「自分の弱さを受け入れ、強さを捉え直すこと」だと思う。
「人間が弱いのではなく、その隙につけ込んで人の心を惑わす鬼があまりにも邪悪なのだ」
幸せな夢の中で生きたいか、それともつらい現実を生きたいか。よくある問いだが、『鬼滅の刃』はどちらを選ぶべきかを論じようとはしない。むしろ、その選択を利用して人間を操る鬼のやり方がいかに卑劣かを示している。この見方は炭治郎の心と同じように、温かく優しい。
人間のさまざまな弱さに向き合うとき、私たちはそれを人間の原罪のように考え、心が弱すぎるせいだと思いがちだ。だが作者は、ここで別の答えを示している。弱いことは私たちのせいではない。悪いのは、その弱さを利用しようとする人たちなのだ。
「心の強さこそが、本当の強さだ」
強さという言葉は、肉体だけを形容するものではない。
人間の肉体は確かに衰え、やがて消えてしまう。それでも信念は、いつまでも受け継がれていく。歴史を前に進めるのは、歴史の流れの中で一瞬だけ輝く個人の強さではなく、信念と精神を繰り返し次の世代へと伝えていくことなのだ。
煉獄さんはこの戦いで命を落としたが、その場にいた炭治郎、善逸、伊之助は彼の信念を受け継いでいける。それまでの数え切れない鬼殺隊の隊士たちが、先人の遺志を継いできたのと同じように。
「信じてもらえたなら、それに応えられるよう努力するしかない」
この映画は道中も見応えがあるが、締めくくりにも力がある。素晴らしい戦闘シーンの余韻をどう残すかは、いつも難しい課題だ。その点、『無限列車編』はとてもよくできていると思う。
最後の決戦で、炭治郎たちはまったく力になれない。実力の差があまりにも大きいからだ。
戦いが終わり、炭治郎が自分の無力さに苦しんでいるとき、伊之助が核心を突く。「できるかどうかなんて、言っても仕方がない。信じてもらえたのだから、その信頼に応えられるよう必死に頑張るしかない。それ以外のことは何の役にも立たない」。
この言葉は炭治郎だけでなく、観客も導いている。結末のやるせなさを、より前向きな結論へとつなげてくれる。感情に訴えるだけでなく、進む方向まで示してくれる、とても力強い締めくくりだ。
努力を続ける中で、ここまでの無力感を味わうことはそう多くないと思う。それでも私たちは、誰よりも自分自身を信じられないことがよくある。だから誰かに信じてもらえたときは、すぐに自分を否定せず、目標に向かって努力して、その信頼に応えてみてほしい!
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