🌊雑記約 1,452 文字

もう一度、ペンを手に取る

これは最近試している方法で、今後また変わるかもしれない。でも、それも自分をつくっていく過程の一つだ。今の私には、もう一度ペンを手に取ることが必要なのだと思う。

八月の終わりごろから、何年かぶりに手書きを再開した。

きっかけは、leafwind が Substack で JR Lee Radio の「Z 世代の IQ 逆転の真相:なぜ教育テクノロジーは子どもたちに害を与えるのか?」を紹介していたことだ。元の投稿では、主な論点を「手書きはさまざまな刺激のある複雑な環境で行われ、複雑な環境のほうが効果的に学べる」と説明していた。

始めたばかりのころは、ずっと「効率が悪すぎる」と思っていた。大学で初めて自分のノートパソコンを手に入れたとき、手書きからタイピングに変えるだけで、こんなに速く記録できるのかと驚いた。残せる情報が一気に増えた。それ以来、私はすっかりタイピング派になり、メモアプリも次々に乗り換えてきた。

でも最近は、効率よりも、落ち着いて目の前の作業を終わらせることや、理解を深めることのほうが大切だと気づいた。

最初のころ、スマホとパソコンを脇に置き、ペンを持って白い紙に向かった。メモアプリも Google 検索も AI もない。そこでようやく、自分がどれくらいわかっているのかが見えてきた。自力で書けることは、思った以上に少なかった。以前、教科書をめくっていると全部わかった気になったのに、閉じるとほとんど説明できなかったのと同じだ。

AI の回答も、Google の検索結果も、さまざまなメモも、手元にあるだけで自分の知識になったような気がしてしまう。でも実際には、情報をひたすらため込んでいるだけのことが多い。ちゃんと理解していないし、使いこなすところまではなおさら遠い。

この問題には薄々気づいていたけれど、あまり向き合いたくなかった。すぐ手の届く情報からいったん離れて、自分が本当に理解しているのはそのごく一部だと認めるのは、かなりつらい。

少し前、とても経験豊富なソフトウェアアーキテクト二人に、AI をどう使っているのか聞いてみた。二人とも、プロンプトを書いて Claude Code や Codex に作業を頼んでいるだけだった。いろいろな小技を使っているわけでもないのに、すぐに AI を正しい方向へ導ける。

同じ AI を使っているのに、私は何度もやり取りし、チャットをいくつも開いて、ようやくひとまず形にできる。自分には判断力も知識の理解も、まだまだ足りないと感じる。

効率を追い求めるのは危険なことだ。速さは大切だけれど、そのために考えることや理解、正確さを手放してしまっては本末転倒だ。

長年、手で書くことを避けていたのは、前に進む速さを失うのが怖かったからでもある。もともとそんなに速かったわけでもないのに、さらに遅くなるのが嫌だった。そのせいで、必死に走っているつもりでも、実際にはたいして進んでいなかった。

手書きを通じて、「急がば回れ」という言い古された言葉も実感するようになった。落ち着いて一つずつ筋道をたどるほうが、早く理解できる。ひたすらメモを作ったり、AI と何度もやり取りして、自分ではまだ良し悪しを判断できない回答を読んだりしても、雑音と、努力したつもりになる時間を増やすだけだ。

手書きを始めて二か月になる。最近は手書きの頻度が少し下がり始め、手書きとタイピングの間で、その都度バランスを取れるようになってきた。

何もかも手で書くのは、やはり現実的ではない。でも、ときどき画面から離れて、白い紙に自分の理解を試してもらうことはできる。

またタイピングで情報をため込んでいると気づいたら、紙とペンを取り出し、書きながら考えを整理する。目の前の白い紙を使って、自分の見落としを探している。

最近の面接準備にも役立っている。白い紙に向かう感覚は、面接に似ていると思う。メモや AI の助けがないとき、自分が知っていることや、これまでやってきたことを、どれだけ話せるだろうか。

これは最近試している方法で、今後また変わるかもしれない。でも、それも自分をつくっていく過程の一つだ。今の私には、もう一度ペンを手に取ることが必要なのだと思う。

support

Boba を一杯おごる

注意力が貴重な今、この Web 🕸️ に来てくれてありがとうございます。もし何か得られるものがありましたら、Boba を一杯おごってもらえると大きな励みになります!