私の部屋には 34 インチの曲面モニターと、ひとまず不自由なく使える机と椅子がある。
カフェに行ったり、場所を変えて作業したくなったりしても、それらを使わないのは少しもったいない気がしてしまう。
でも最近、パソコンの前にあまり長く座っていられない。昨日、ソファに移ってパソコンを使ってみたら、意外と集中できた。それで、今まで持ち物に縛られていたのかもしれないと思った。
買ったものは、実は「使わない」という選択もできる。買ったからといって、元を取ろうと使い倒す必要はなく、そのときに合わせて使えばいい。まったく放置しているわけでもなく、ただ「ずっと」は使っていないだけだ。
大切なのは、選べることだ。昇降デスクを買っても、ほとんど高さを変えずに使っていい。変えたくなったときに変えられればいい。大きなモニターを買っても、別の場所で作業していい。いくつもの画面を同時に見たくなったら、戻ってつなげばいい。買ったのにまったく使わないものは、頃合いを見て手放してもいい。でも、役立つ場面があるなら、出番が少なくても、そこまで気にする必要はない。
ほかのことも、そうなのかもしれない。何かをしたから偉いというわけでもなく、しないことにも自由がある。今はむしろ、何をしないかのほうが大切かもしれない。人生には限りがあるし、何もかもやる必要はない。
サブスクの AI エージェントにも、同じことを感じる。五時間ごとの枠や今週の利用枠を使い切っていないと、少しもったいない気がする。でも、枠を消費するためだけに使うのも、不自由なことだ。
必要なときに枠を使い切ってしまうと困るけれど、そういうものだ。やることの量が、トークンの枠にぴったり合わせて決まるわけではない。
少し調整するとしたら、急がないことを先にプロンプトにして保存しておき、枠が余ったときに AI に渡すくらいだろうか。でも、それではやることが積み上がっていくかもしれない。やっぱり思いついたときにさっさと片づけて、クレジットはあまり気にしないほうがいいのかもしれない。
あるいは、枠を使い切ったときこそ、AI なしでの自分の力や理解を試せる。AI がないとどう進めればいいのかまったくわからなくなるなら、頼りすぎて、主導権を AI に渡してしまっているということだ。
MCP や computer use が、AI に手足を与えてサービスにつないだり、パソコンを操作させたりするものだとしたら、私は AI に使われる「human use」にはなりたくない。
AI を使って自分の可能性をもっと広げたい。でも、使わない自由も持っていたい。
(最近、文章を書いていて「〜ではなく、〜だ」と書いたことに気づくと、少し時間をかけて別の言い方を考えている XD)
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